記録映像データ詳細表示
作品No | sa-00081 |
ジャンル | 短編 |
作品タイトル | 竜門の人びと |
フリガナ | リュウモンノヒトビト |
製作会社 | 桜映画社 |
スポンサー | 貯蓄増強中央委員会 |
製作年 | 1968年 |
月 | - |
日 | - |
分数 | 40分 |
色 | カラー |
言語 | 日本語版・英語版 |
カテゴリー | 生活・農業・劇 |
シノプシス | 昭和39年度の朝日農業賞を得た農業集団、和歌山県粉河町竜門地区の三代にわたる歩みを描く。大正から昭和に至る50年のミカンの村の奪闘史で、村人が総出演で演じ俳優は1人も登場しない |
映像内容 | 和歌山県粉河町竜門地区。紀ノ川べりの急斜面の裏山はミカン畑に覆われている。濃緑の樹の間を縫う白く長いコンクリートの農道が眼を射る。この道を開いた25年前― 。 昭和17年、上林さんが戦地から帰ってみると、働いているのは女と老人ばかりで、このままではミカンはなっても搬出がままならない状態になると思った。そこで牛車の通れる3メートル幅の農道の建設を思いたった。「もしあの当時、志磨さん、窪さん、村長の村尾さんがおられなかったら、あの計画も遂行できなかったんじゃないか」と上林さんは述懐する。その志磨さん、窪さんも70歳、80歳で現在も元気である。こういう先輩が上林さんの前の時代にいて、この村のミカンの発展に大きな役割を果していた。大正12年、当時25歳の志磨さんが中心になって、暴利を貪るミカン商人に対抗して、この村に初めて組合員17人の小さな出荷組合を作った 。村に生まれた志磨さんは、大正初期の「自由主義・人道主義」の精神運動に熱中し、盛岡の高等農林学校を中退して家に帰ると、若者を集めて学問と作業の一致を説いた。それがミカンの共同出荷、共同選果となり、協同組合をつくって「共栄組合」と名付けた。組合は商人の巧妙な切り崩しにあって非常な苦労をしたが、その闘いの中から、いい青年が次々と育った。志磨さんの薫陶を受けた上林さんもその1人だった。上林さんの農道建設に村の人たちは反対だったが先輩たちの力強い後押しがあって、昭和18年の暮れに急峻な裏山のミカン畑に初めて牛車を使える幅3メートル、長さ3300メートルの新農道が開通した。牛車の威力は人の肩で担ぎ降ろすのに比べて10倍の輸送力を発揮し、反対した人々も驚いた。 ついで戦後になると、上林さんよりひと廻り若い植田さんらが引き継いでミカン山の復興を図り、昭和31年「荒見土地改良委員会」を作って農道の舗装、ミカン山の畑地濯漑など大胆な農業近代化を目指した。こうして昭和35年に着手した218ヘクタールに及ぶ全国初のミカン山のスプリンクラーの灌漑は、41年に完成した。同じ頃「農業の近代化も大切だが、生活はもっと大切ではない」かと、共通の悩みを持つ主婦たちが集まって<からたち会>というグループも生まれた。農業の近代化は村の生活に大きな変化をもたらした。ミカン農家1戸当たりの所得は、昭和37年と比べると5年後の42年には2倍になった。村の中には大きな選果場もできて作業も近代化された。そして、それぞれの農家はそれぞれに、明日の農業を目指している。 日照りが続くと濃緑のミカン山で、スプリンクラーの雨が方々で弧を描き始める。ミカン山の上に大きな美しい虹が立った。 |
地域情報 | 和歌山県/粉河町 |
スタッフ | 製作・脚本:村山英治 演出:堀内甲 撮影:三枝弘夫 照明:松原省志郎 音楽:長沢勝俊 助監督:篠原茂 解説:川久保潔 |
受賞歴 | 文部省選定 第23回芸術祭奨励賞 1968年教育映画祭最高賞 第23回毎日映画コンクール教育文化映画賞 第21回東京都教育映画コンクール金賞 1968年キネマ旬報ベストテン第1位 第12回日本紹介映画コンクール金賞 第6回イラン国際映画祭優秀作品賞 第7回ベルリン国際農業映画祭金穂賞 |
画面サイズ | |
備考・関連情報 | |
参考画像 |
|
フィルム原版 | 35mm |
ライブラリー窓口会社 | 桜映画社 |
試写 | お問い合わせください |
素材提供 | お問い合わせください |
公開動画 |