記録映像データ詳細表示
作品No | sa-00134 |
ジャンル | 短編 |
作品タイトル | 創立者たち 風雪に耐えて |
フリガナ | ソウリツシャタチ フウセツニタエテ |
製作会社 | 桜映画社 |
スポンサー | 雪印乳業株式会社 |
製作年 | 1975年 |
月 | - |
日 | - |
分数 | 40分 |
色 | カラー |
言語 | 日本語版 |
カテゴリー | 酪農・製造技術・明治初期・製酪業・記録 |
シノプシス | 困難を極めた日本の製酪業の歴史を黒沢酉蔵を中心に、佐藤貢、瀬尾俊三の3人の創立者たちの歴史的証言をもとに構成した。当時の写真、ニュースフィルム等も丹念に集め、明治末から大正、昭和の日本の乳業の歴史としても貴重な記録映画になっている。これらの先覚者たちの足跡は、一企業の歴史を超えた、不屈の人間たちのドラマである。 |
映像内容 | 日本における酪農と製酪技術は、明治初期にいわゆるお雇い外人の指導によって官業で始まるが、順調には発展しなかった。北海道はその主要な舞台だったが、寒冷地の稲作技術の発達によって、稲作が主になっていく。しかし、稲作もその後、度重なる冷害凶作を経て、再び酪農の復興が唱えられるようになる。その酪農の復興と、製酪業の発展に尽くしたのが宇都宮仙太郎と黒沢酉蔵であった。 黒沢は若き日に、足尾鉱毒事件で知られる田中正造に愛され、被害民の救済に奔走したが、母の死を境に北海道に渡って宇都宮牧場の牧夫になった。後に独立して夫婦で小さな牧場を持ち、牛飼い農民を糾合して、デンマーク農業を範として、「農民のつくったものは、農民の手で売る」という北海道製酪販売組合の工場生産と販路開拓に奮闘する。だが大衆がバターにもチーズにも馴染めなかった大正時代に、それらの販売には非常な苦労がともなった。その黒沢を製造技術面で助けたのはアメリカで製酪技術を勉強して帰国した若い佐藤貢で、販売面で片腕になったのが瀬尾俊三だった。 黒沢酉蔵 佐藤貢 瀬尾俊三 明治初期 デンマーク農業 バター・チーズ 寒冷地 稲作技術 |
地域情報 | 北海道 |
スタッフ | 製作:村山英治 脚本・演出:村山正実 撮影:村山和雄 音楽:山内忠 編集:沼崎梅子 解説:川久保潔 |
受賞歴 | 文部省選定 日本映画ペンクラブ推薦 第31回 広告電通賞 第14回 記録日本産業映画コンクール奨励賞 第27回 国際産業映画ビデオ祭国内大会部門優秀賞 |
画面サイズ | |
備考・関連情報 | |
参考画像 |
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フィルム原版 | 35mm |
ライブラリー窓口会社 | 桜映画社 |
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公開動画 |