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作品No sa-00210 
ジャンル 短編 
作品タイトル On A Wind from The South The First European Impact on Japanese Culture
南蛮文化 日本と西洋の最初の出会い 
フリガナ ナンバンブンカ ニホントセイヨウノサイショノデアイ 
製作会社 桜映画社
スポンサー 国際交流基金 
製作年 1982年 
分数 29分 
カラー 
言語 日本語版 
カテゴリー 美術工芸・カステラ・キリシタン・記録 
シノプシス 外国の人々に日本の歴史の特色を理解してもらうことを目的として製作した。日本人が初めて出会った西欧文化をどのように受け入れ、それが当時の日本人にどんな影響を与えたかを、残された「南蛮屏風」や、美術、工芸品などを通して描き出している。 
映像内容 1543年の夏、九州南方の種子島に3人のポルトガル人が漂着した。これが日本と西洋の最初の出会いであった。日本人は、彼らを南方から来た異民族<南蛮人>と呼んだが、この時伝えられた鉄砲は、日本歴史の方向を決定することになった。この鉄砲を戦さに大量に使った織田信長が天下を平定し、室町幕府に代わる新しい時代をつくった。鉄砲伝来から6年後には、フランシスコ・ザビエルが来日、日本に初めてキリスト教を伝えた。日本から4人の少年使節がローマに派遣され、ローマ教皇に拝謁したのもこの時代である。1570年頃からはポルトガル船が定期的に長崎に来航し、日本の銀と中国の絹との仲介貿易を行なったが、同時に西欧や東南アジアの文物が日本に流入し南蛮ブームがおこった。しかし、17世紀に入るとキリスト教の弾圧が始まって、日本は鎖国の道をたどり、南蛮ブームは急激に終焉を迎えるが、珍しい南蛮風俗を描いた屏風や、南蛮文物をデザインした工芸品などが今日まで残されている。てんぷら、カステラ、じゅばん、ボタンなど、今日使われている言葉の中に当時の外来語を見出す他には、南蛮文化の痕跡は見事なまでに消えてしまっているが、日本歴史を通じて最も開放的だったこの時代精神の中にエキゾティシズムの影響を見逃すことはできないであろう。華やかで、しかも劇的に幕を閉じてしまったことで、今日、日本人に一種の憧憬の念を抱かせる時代ともなっている。

南蛮屏風
波 実景
トスカネリの世界図
当方見聞録
ストプニッツアの世界図
ミュンスター 世界図
日本の古地図
種子島 海岸 打寄せる波
鉄砲博物館 展示された鉄砲
鉄砲の店
長篠合戦図屏風
姫路城
南蛮屏風 左隻、右隻
世界図
南蛮屏風
鹿児島湾 実景 海と島
ザビエル肖像画
教会
ザビエル像
南蛮屏風
長崎 実景
イエズス会本部跡
ルイス・デ・アルメイダの碑
トードス・オス・サントスの碑
切支丹井戸
京都 実景
扇面南蛮寺
妙心寺 春光院の鐘
南蛮屏風
大友宗麟像
伊東マンショ像
ドイツの新聞の記事 伊東マンショ、中浦ジュリアン、千々石ミゲル、原マルティノ
ラテラノ教会行幸図
南蛮屏風
南蛮人硯箱
手あぶり

刀のつば
花クルス水差
能衣裳
鉄砲鼓胴
カルタ香合
版木の重箱
陣羽織
南蛮屏風
輸出漆器 聖餅箱
輸出漆器 小箪笥
輸出漆器 洋櫃
水差し
洛中洛外図屏風
遊楽風俗図
花下遊楽図
観能図
歌舞伎草紙
世界図屏風
四都市図屏風
時計
印刷物 サカラメンタ提要
洋人奏楽図
キリスト像
雲仙殉教地
二十六聖人殉教図
踏絵
キリストかくし絵屏風
出島の地図、屏風絵、模型
グラバー邸
オルト邸
大浦天主堂
マリア像
島原 実景 墓 クルス
浦上天主堂 聖人像
長崎全景
南蛮屏風 
地域情報  
スタッフ 製作:村山英治/福間順子  
脚本・演出:藤原智子  
撮影:植松永吉  
音楽:吉川和夫
解説:パトリック・チェンバース(英語版)
 
受賞歴  
画面サイズ  
備考・関連情報  
参考画像
 
フィルム原版 35mm 
ライブラリー窓口会社 桜映画社
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素材提供 お問い合わせください 
公開動画  
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