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作品No iw-00311 
ジャンル 短編 
作品タイトル トヨタ その30年をあなたに 
フリガナ  
製作会社 岩波映画製作所
スポンサー トヨタ自動車株式会社 
製作年 1968年 
分数 50分 
カラー 
言語 日本語版 
カテゴリー 産業・製造・自動車 
シノプシス 1967年(昭和42年)日本の自動車保有台数が1000万台を超えた。この年、トヨタ自動車工業は創業から30年になり、300万台目の自動車を出荷した。  
創業期からの歩みを担った幹部などの証言をまじえ、30年間の節目節目に撮影された動画を織り込みながら30年の歩みを辿る。

明治年間に自動織機を発明した豊田佐吉の指示のもと、織機の10年間の特許使用料を英国に売って得た10万ポンドの資金を開発費にあて、昭和8年から大衆車製造をめざし自動織機工場内の一角に自動車部試作工場をつくり研究を開始した。
昭和10年5月には初の試作車「A1型乗用車」を発表、昭和12年には織機工場から独立した刈谷組立工場を建設し、トヨタ自動車工場株式会社を設立。さらに昭和13年11月3日、挙母(ころも)工場を操業開始した。(この日が創立記念日) しかし、昭和12年の日中全面戦争突入後、次第に国家による戦時統制がすすみ、昭和13年8月には商工省通達で軍用を除く乗用車の製造が原則禁止され、刈谷工場は軍需工場として軍用トラックを製造。昭和14年5月に上海に完成した組み立て工場で生産されたGB型トラックは中国大陸の戦場へ投入された。

戦後は民生用トラックからスタートし、昭和23年8月に戦後初の乗用車トヨペットSA型セダン発表、昭和25年からの朝鮮戦争特需(米軍からの大量発注)で息を吹き返した。昭和27年4月サンフランシスコ条約発効により占領下の経済統制が失効する中、同業各社は外国との技術提携を検討するが、トヨタは純国産車確立の方針を決定(昭和28年1月)。昭和29年に技術本館(テクニカルセンター)を完成させ、昭和30年には乗用車トヨペットクラウン、トヨペットマスターを発売、その後昭和36年には大衆車パブリカを市場投入し、日本のモータリゼーション時代の先駆けとなった。昭和40年代に入り、安全性向上、資本自由化への対処(同業2社との業務提携)、日米貿易摩擦など、時代の課題への対応が始まる。


<参考文献> 「トヨタ自動車75年史」「トヨタ自動車75年史 資料編」
         (いずれも トヨタ自動車株式会社 2013年刊) 
映像内容 従業員などの声
  「世界に飛躍するトヨタになるよう協力してやってゆきたい」他
タイトル「トヨタ その30年をあなたに」
写真 円太郎バス(輸入車T型フォードのトラックモデルを流用して造られた)
写真 豊田佐吉 佐吉が発明した織機 織機の特許証(明治24年)
   豊田自動織機製作所 作業風景(昭和6年) 
自動車原料の一覧図 
写真 最初のエンジン「A型」 A1型乗用車(最初の試作車) 
初期の製造風景 走るトラック
「ジャストインタイム」について語る
刈谷工場
挙母(ころも)工場建設作業、完成した工場群(空撮)
写真 初代社長横田利三郎
動画「飛躍する国産自動車工業」
  特急つばめ(SL)と競争(併走)するAA型乗用車
動画「自動車工業振興展覧会」(昭和12年10月)
  国産トヨタ乗用車の看板 各社の乗用車、バス 
群がる見学者など華やかな展示会の様子 トヨタ館のネオン
動画「挙母工場で軍用トラック製造」(昭和15年頃 ナレーションあり)
工作の時間に乗用車模型をつくる小学生たち
写真 ドイツ軍を閲兵する松岡洋右外務大臣ら
刈谷工場を視察する要人たち(ナレーションあり)
 「秩父宮殿下御台臨」「陸軍大臣寺内大将視察」「東久邇宮殿下御台臨」
写真 東条内閣閣僚たち
中国戦線、ぬかるむ道で難渋し行軍する軍用トラックと兵たち
 唄(降ればぬかるみ吹けば砂 弾にゃ恐れぬ俺達も 泣けた悪路の幾百里 
 よくも此処まで乗り切った さすが自慢の国産車 たのむタイヤとハンドルに
いのちを懸けてまっしぐら 敵地を突いたいさをしは 俺の度胸やうでよりも
誇るはやさがもの言った)
軍用トラック製造を担う女子挺身隊員たち
トヨタ・ニュース「燃料節約」
  ガソリン節約呼びかける横断幕をつけ走るトラック(大阪)
グラフ(戦前戦中の乗用車生産台数 昭和12~13年をピークに激減)
写真 水陸両用車「スキ型」
写真 大型B乗用車(戦時中に5台くらい試作された)
街をゆく木炭バス 襲う軍用機と応戦する艦船
日本に進駐する米軍 
厚木に降り立つマッカーサー元帥 
  廃墟となった空襲被害地
写真 トヨタKC型トラック組立
戦後初の社内運動会 障害物競争 綱引きなど 
名古屋復興祭 飾りたてた車のパレード ミス名古屋たち
戦後初の乗用車発表 (昭和23年8月)
  トヨペットSA型セダン SLと併走
写真 組合員の首切り反対闘争
写真 トヨタ自動車販売東京事務所
語る神谷正太郎(トヨタ自動車販売初代社長 冒頭から27’43~)
写真 昭和25年の新首脳陣 前列中央の石田退三三代目社長ら
写真 トヨタBMR型ウォータータンク車 BMV型カーゴ車
   BMM型ダンプカー BMU型ホチキスタイプ
豊田喜一郎第2代社長の葬儀 (昭和27年)
技術開発研究 ランドクルーザーの登坂試験(富士山登山)
写真 トヨペットマスターRR型 RS型クラウン
クラウン ロンドン東京間5万キロドライブ (昭和31年)
工場視察する昭和天皇皇后
元町工場建設工事 (昭和33年) 工場完成式 (昭和34年9月) 
トヨタ創業50万台目がラインオフ 元町工場(空撮)
大衆車のトヨタパブリカ展示 (昭和36年自動車ショー)
製造ラインのクラウン 100万台目を組立  ラインオフ(昭和37年6月)
第1回日本グランプリ自動車レース大会(1963年5月 鈴鹿サーキット)
    (出場15台中パブリカが1~7位を独占)
200万台目の車(クラウンデラックス)ラインオフ (昭和40年4月)
写真 デミング賞実施賞受賞式(昭和40年9月)
新工場用地造成工事 新しく完成した工場空撮(上郷、高岡 東富士 三好の各工場)
豊田市内のトヨタ各工場配置図
テストコースを疾走するトヨタ2000GT
  (昭和41年10月 高速耐久レースで3つの世界記録など達成)
300万台目達成セレモニー(昭和42年2月)
円グラフ(昭和42年度国内生産台数のうちトヨタは35%余、
     輸出のうちトヨタは44%余でともに第一位)
地図(海外組立工場配置と輸出先)
船積みされる乗用車 
新聞記事(日野自動車、ダイハツ工業と業務提携)   
ニュークラウン登場 (昭和42年9月)
話す中川不器男第4代社長
第14回モーターショー(昭和42年10月 東京・晴海)
第5代社長豊田英二就任式(昭和42年10月)
排気ガス検査 雪中走行テスト 衝突試験 
新聞記事(日米自動車交渉 昭和42年12月)
豊田佐吉生誕100年記念展
社員運動会
                   以上
                       以上
 (データ作成:中村光一) 
地域情報  
スタッフ 制作:高木隆太郎 監督:坂口康 脚本:三神ミネコ 撮影:西山東男 
受賞歴  
画面サイズ  
備考・関連情報  
参考画像
 
フィルム原版 16mmネガ 
ライブラリー窓口会社 記録映画保存センター
試写 ○ 
素材提供 お問い合わせください 
公開動画  
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