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作品No iw-02751 
ジャンル 短編 
作品タイトル <日本文化シリーズ・年輪の秘密>博多人形 
フリガナ  
製作会社 岩波映画製作所
スポンサー 自主制作 
製作年 1959年 
分数 17分 
白黒 
言語 日本語版 
カテゴリー 日本文化・人形・博多人形 
シノプシス 博多人形は、徹底的な写実に特徴が見出される。この道60年の小島与一氏をはじめ、彫刻師の人たちを仕事場に訪ねて、製作法をそここでの苦労を知る。 
映像内容 九州一の大都会、福岡・バス、市電・看板「日立モートル」「博多人形」「博多人形諸国特産おみやげ店はくせん」・毎年アメリカに輸出するだけでも1億3000万円、関係した仕事の人は2000人。福岡市の主要な産業の一つ・ショーウィンドーで博多人形を眺める人たち・博多人形の数々・博多人形のおこりは慶長6年黒田長政が福岡城を築いた時、瓦職人正木宗七が献上した泥人形であると伝えられている・江戸時代には恵比寿様や武者人形、雛人形が作られていた(形も大きく粗野で色の塗り方も簡単だった)・現代のような華やかな博多人形は明治の中頃から作られるようになった・明治14年内国勧業博覧会に出品した時、博多人形という名前がつけられた・写実的であることが特徴・浮世絵風の美女や
芸者をテーマとする美人もの、歌舞伎もの、能を舞う姿を表す能ものがよく作られている・京都の伏見人形、仙台の堤人形、長崎の古賀人形と同じ系統の土製の人形・看板「与一人形」・原型を作るのが型作りあるいは彫刻師・窯で焼くまでを受け持つのが生地屋・色を塗るのが彩色屋・彫刻師の小島与一さんが原型を作る様子(ベレー帽)・床の間の前に座って新作のだるま「無我」に色を塗る白水(シロウズ)八郎さん・白水さんの一番得意な能ものの屋島・彫刻師で一番若い35歳のオキアイタクマさん(ベレー帽)・芸者の博多節の踊りに見入るナカタヒロキさん(小さい女の子と火鉢)・モデルを見ながら傍の粘土を肉付けしていく・カシラを作る様子・役者人形など、モデルに忠実に作らなければならない場合は別として、顔は作者好みに作るのが通例・明治の中頃、博多人形は泥人形から写実的なものに変わった(当時の彫刻師たちは大学の教授から解剖学の講義を受けたという)・人種人形といって色々な国の人の風俗を紹介するための人形を作った時代もあった・モデルを見ながら背骨の位置を表す線をつける・土で拵えた人形であっても、その衣装が絹か木綿か麻かヒダやシワの寄り方を見極めて作らなくてはならない・竹や柘植で作ったヘラ・段々とできていく人形・モデルの芸者さん・写実と理想美をどうマッチさせるかが彫刻師の課題・通りで遊ぶ子供たち(縄跳び)・電柱看板「東職人町 沖屋酒店」・戦災で焼け残った福岡の街の一角・彫刻師、太田卯三夫(ウサオ)さんの小さな人形工場・黒田武士の原型・原型を基に石膏の型が作られるが、その型から正確に抜けるのは最初の10個くらい。100個を超えると線は崩れ凹凸は少なくなって原型の味はほとんどなくなる・小島与一さん(15の時からこの道60年)の仕事場・鈴を鳴らすと少年が粘土の塊を持って来て手渡す・明治中期までの原色のケバケバしい色彩にかえて現在の中間色を使った華やかな塗り方を始めたのも小島さんを中心とした人たち・大正13年、パリの万国博覧会で賞を受けたのを始め、何度か海外にも出品している・焼きあがった最初の人形に手本となるよう色をつけるのは原型を作った者の仕事・人形の顔は全部彫刻師が描く決まり・能の熊野(ユヤ)の顔の絵付けの様子・タバコを一服する小島さん・舞踊家 吾妻徳穂さんの生き人形(囲炉裏)・小島さんの写生帳のスケッチ・人形制作の苦心を語る小島さん・
裏庭にある人形を焼くための窯(特に大切な作品は自分で焼く)・窯を焚く弟子(下駄)・弟子の手元と煙の色を注意深く見守る小島さん
 
地域情報 博多 
スタッフ 制作:小口禎三 監督:土本典昭 脚本:羽仁進/犬伏英之/吉原順平 撮影:狩谷篤 
受賞歴  
画面サイズ  
備考・関連情報  
参考画像
フィルム原版 16mmネガ 
ライブラリー窓口会社 記録映画保存センター
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公開動画  
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